この道をこれからもあなたと一緒に。

大好きな中間淳太くん入所15周年おめでとう〜〜!!!!!!!

就活ゼミで習った。最初に結論言いなさいって。だから、今日は言いたいことから始めてみました。

 

はい!2/10になりました!淳太くん!入所15周年!!めでたいね。すっごくめでたい🐟(鯛の絵文字ってないんや)

まだわたしは淳太くんを好きになって1年しか経っていませんが、140字に収めることができなかったので書かせてくださいね。よろしく!よろしく!

f:id:j_w_27:20180210120451j:image

なるべく2017/2/10以降の画像を選んだつもりだよ。

 

淳太くんは、ジャニーズWEST内でも?ジャニーズ全体を見ても?セレブ(キャラ)で、実際母方のおじいちゃんが会社を経営していて正直な話、将来は約束されたようなもの。そんなお家に生まれてきた淳太くんは、小さい頃から国際的にしたかったのか中華学校に小学生の時は通い、お父さんには英会話を習うよう言われて、小4からは台湾の日本人学校に通うようになります。その頃の淳太くんは、

特には(将来の夢は無くて)、このまま成長して、おじいちゃんの会社に入ってって感じかなって、芸能界にも興味なくて、ジャニーズも知らなかった

と、10000字インタビューで語っていました。会社員淳太くんも見たいけどね〜!あの完璧スタイルでスーツ着こなして、絶対カッコイイで…絶対…

 

  • 事務所に入るキッカケ

そんな淳太くんが、ジャニーズ事務所に入るキッカケになったのは、小学6年生の時。今の淳太くんからじゃ考えられないけれど、学校が楽しすぎて勉強を全くしてなかったジャニーズWESTのブレイン担当淳太くんが!よ!!小6のテストの平均点、5点って考えられる!?あの淳太くんが!!土曜の朝専門家の先生たちに毎度褒められる淳太くんが!!!!!(笑)

 

運動も苦手な淳太くんを見兼ねたお母さんが「この子には何かをさせなあかん」と、たまたま買ってきた雑誌にKinKi Kids台湾コンサートの記事に"台湾Jr.募集"とあり、友だちと一緒にオーディションを受けることに。

もう奇跡だよね。KinKi Kidsありがとう。淳太くんママありがとう。KinKi Kidsの台湾コンサートが無ければ、淳太くんはジャニーズの道を選ばなかっただろうし、淳太くんママがたまたま(ここが大事)たまたま買ってきた雑誌。その雑誌を選ばなければジャニーズじゃなかったかもしれない!

偶然と奇跡は紙一重。これに尽きる。

 

オーディションを友だちと受けに行ったらすごい人数が集まっていたとか。ただ、日本人だったのは淳太くんと友だちだけで、珍しかったのか、それともジャニーさんのよく言う「僕は10年後のこの子たちの顔が見える」とジャニレーダーに引っかかったのか、ジャニーさんに声をかけられて「日本に帰国したら連絡してね」と。

一曲だけ出番があって、それが初ステージだったんですけど、すっごいおもしろかったんです。それから日本にいる親戚に、ジャニーズのビデオを送ってもらったりするようになって、ビデオを見てひとりで練習して。「Secret Again Man」とか完コピしました。

これも10000字インタビューより。ここでジャニーさんと出会い、そして、ステージに立つ楽しさを淳太くんは知るわけだけど、これもすごい奇跡だよね。その当時どれぐらい集まってたのか分からないけど、たくさんいた中で淳太くんに声を掛けてくれたジャニーさん。この会話が無ければ、ジャニーズ事務所に入る選択はなかったかもしれないもんね。

ステージに立つ楽しさを知った淳太くんは、もしジャニーさんに声を掛けてもらうことがなく、オーディションもそのまま流れていたとしたら…。もう一度ステージに立ちたいと淳太くんが思ったとして、その選択肢でジャニーズ事務所では無く別の事務所にいたかもしれないし、そもそも日本に帰ることなく台湾スターとかで売れてたかもしれない。ああ、淳太くんがジャニーズ事務所を選んでくれてよかった。

 

  • ジャニーズ人生がスタート

そして、高校入学と同時に日本へ帰国。平均点5点だった淳太くんは、担任に「お前じゃその高校には行けないからレベルを落とせ」と言われて、ムカついたから猛勉強。受験するタイミングでジャニーさんに関西の高校を受けることを伝えると「じゃあ、関西Jr.だね」

ここから淳太くんのジャニーズ人生が始まります。

淳太くんがジャニーズJr.として、雑誌に載せてもらうんだけど、これに一緒に載ってたのがNEWSの手越くん!のちに雑誌内で手越くんも「覚えてるよ〜」と言っていて、手越くんのが1年先輩*1だけど、ほぼ同期に胸熱。

 

そんな始まったジャニーズ人生ももう15年経つんですよ〜淳太くん〜早いね〜!淳太くんは受験で選んだ高校が関西だったから関西Jr.として活動を始めるけど、台湾生活も長いし、台湾での同級生はほぼ東京の子たちばかりで、最初は関西ノリが合わずなかなか馴染めなかったとか。

でも今思えば、関西の高校を選ばなければ、帰り道が一緒で仲良くなるグループ内唯一の昭和組濵田崇裕に出会うことも、最初は仲が悪かったけどのちに『死ぬまで一緒』の永遠の相方となる桐山照史と出会うことも、天才肌だからなんでも出来ちゃうオタ友の神山智洋と出会うことも、いきなりエースでグループ結成してからはいちばんの話し相手となる藤井流星と出会うことも、今ではウザ絡みをされるけどのちに関西Jr.&ジャニーズWESTの絶対的センターとなる重岡大毅と出会うことも、9個も下なのに恋バナの相談とかしちゃう小瀧望と出会うこともなかったんだよね。

ほんとのほんとに偶然と奇跡は紙一重!(言いたいだけ)

 

1年後の2004年12月。照史くんとB.A.D.が結成。ジャニーズJr.でグループが出来て、少しだけデビューに近づく淳太くん。だけど、びっくりするぐらい照史くんと仲が悪いっていうね(笑)ほんとにプラスとマイナスで正反対だから、お互いに苦手なタイプって分かる気もする。ちなみにこの時のことを淳太くんは

ふだんほとんどしゃべりかけてこんくせに、ステージ上だけ"淳太くん、淳太くん"って。"おまえビジネス淳太くんやないか!"って

ビジネス淳太くん(笑)このワードセンスほんとに好き。ここから仲良くなるまでに4年かかるっていうのがB.A.D.らしいよなぁ。

 

  • 辞めようと考えた2005年

もちろん、入所してからも順風満帆な人生とはいかなくて。

2005年のちに関ジャニ∞としてデビューするメンバーで『Magical Summer』という舞台をしている時に、内博貴くんの代打として淳太くんが選ばれました。淳太くんのことを知る人が増えたと同時に、関西Jr.の中で孤立。‘オイシイ役もらいやがって’、‘生意気’。まぁ、嫉妬だよね。簡単に言えば。事務所にも‘調子に乗ってる’と伝わり、仕事も干されるようになり、弁解する暇すらなかった、と。

 

“こんなんやったら楽しくないから辞める”

淳太くんのこの選択分かる気がする。周りに自分を信じてくれる人が誰も居ないと思ったら辞めたくなるよね。そんな淳太くんを支えてくれたのは、関ジャニ∞横山裕くん

“辞めるのは簡単。でも逃げるより続けることが大切なんちゃうか?”

この言葉を聞いて泣きながら自分にも悪いところがあったと反省。淳太くんは何年経ってもこのエピソードをラジオなどで、悩んだタイミングで支えてくれたキーパーソンは横山くんだったと語っています。見てくれる人がひとりでも居たら嬉しいよね。

 

  • 「ごくせん」に出ながらも悩む2008年

 2008年。この年って淳太くん、照史くんのファンにとって大きかったと思う。まだ淳太くんにハマる前のわたしですら「この2人すごい」って純粋に思ってたから。わたしは元々横山担なので、B.A.D.の2人のことはエイトレンジャーの敵B.A.D.団として認識してたけど、ごくせんに選ばれるなんて思ってなかったから。すごい!純粋にすごい!と思ってた。正直関西ジャニーズってずっと不遇だったからね…。だから関西が注目されるのはわたし自身嬉しかった記憶。こんなこと言ったら東京Jr.だって!とか言われるかもしれないけど。

ちなみにこのごくせんデビューが決まったとき淳太くんは「よっしゃ、デビューや」って調子乗ってたって(笑)でも分かるよ。人気ドラマに出演決定したらそう思うよね。ごくせんの淳太くんかっこよかったよね。まぁ、ごくせんの時は、B.A.D.なら照史くんの方が好きだったんですけどね(笑)(笑)

ちなみにさっきB.A.D.が徐々に仲良くなったって言ってたけど、この頃2人で『お前のここが嫌い』と言い合って、仲良くなった、と。

 

高校卒業のタイミングでもこの仕事を続けるべきかどうか悩んだと淳太くんは言うけど、高校卒業はまだ大学に行くタイミングだから大丈夫。でも、大学卒業後は?大学3年生になって、周りは就活して就職先が決まるのに俺は何もしてない。このままでええの?

何よりお父さんが反対していたこともあったり、先が見えないお仕事だからこそ不安も募っていた淳太くん。そのタイミングである人と大ゲンカ。

“おまえなんか絶対デビュー出来ない!”

この発言キツイよね。Jr.だったら言われたくないセリフナンバーワン。

 

淳太くんも、

“デビュー出来ひんねんやったらこっちから辞めたるわ”

ジャニーさんに直接電話をして「辞める」とまで言ったにも関わらず、ジャニーさんは引き留めてくれた。

「デビューを決めるのは僕だからね、見てる人は見てるよ」ジャニーさん、止めてくれてありがとうとしか言えないけど、淳太くんがそれまで頑張ってたり努力してた部分もあるからこそ、ジャニーさんは引き留めてくれたんじゃないかと勝手に思ってる。ほんとにどうでもいいやつなら「そっか、バイバイ」で終了だもん。淳太くん、思いとどまってくれたよかった。

 

  • 少しずつ減る仲間、見えてきた可能性

さっきまでの話が2008年ぐらいで、デビューするまでここからさらに6年かかるわけで。長い。長いよ。下積み11年だもんね。みんなで頑張ろうと言っていても、やっぱり目指すベクトルが違ってきて違う道を選ぶ人が増えてきて。この時B.A.D. BOYS VeteranのB.B.V10人で活動していたのに、1人、また1人と仲間が減っていく。ジャニーさんに引き止められてからは、ファンの人からの言葉もあって「もう二度と辞めたいなんて思わへん」と決めた淳太くんは、「もし辞めた後すぐに俺らがデビューして、残っておけば良かったと思うなら残った方がいい。そうじゃないなら新しい夢を追いかけるべき」カッコいい。無理に引き止めるわけじゃなく、本人の気持ちを尊重しながら、相談に乗るってカッコいいね。口ではこう言ってたけど、やっぱり仲間が減るのは寂しかった、って。そりゃそうだ。ずっと頑張ってきた仲間が減るのは、寂しいよ。

 

仲間が少しずつ減る中2011年発表された関西ジャニーズJr.で初めての西日本ツアー。10000字インタビュー内で、

それまで、"デビューしたい!"って言っても、可能性は1mmもなかった。それが、1cmだったかもしれないけど、初めて前に進めた。(中略)あのとき、漠然としたデビューって夢が目標に変わって、(中略)照史と俺、ステージの端と端にいたのに、無意識にお互いが駆け寄って抱き合ったんですよ。なんか“俺はコイツと、これからもずっとずっと一緒におるんや”って、確信した瞬間だった。

泣く〜〜(涙)こんなエピソード見たら泣くよ〜〜(涙)(涙)(涙)

可能性が見えてきて、デビューに近づいた瞬間。でも、デビューできる兆しがなくて、その1年後。白黒はっきりつけたくて、照史くん、濵ちゃんと共にジャニーさんに相談。「デビュー出来ないなら違う人生に切り替えたい」辞めないと決めた淳太くんも、ゴールテープを切れると思っていたのに、また元の位置に戻されて…、それでも諦めず続けてくれた2014年。

 

デビューが決まってからもいろんなことがあったけど、デビュー出来た今、いろいろなことに挑戦し続けてくれて、2018年の2/10は、淳太くんのひとつの夢でもある『キャスター業』にも繋がるであろう正義のミカタに出演して迎えた15周年。

 

淳太くんがこれから先も夢に向かって、沢山の笑顔と幸せに包まれながら、大好きな6人と手を取り合い、いつまでもわたしたちのアイドルでいてください。

淳太くんの頑張り、努力は絶対報われる!

 

15年ジャニーズを続けてくれてありがとう!16年目も、キラキラした素敵なアイドルで、笑顔いっぱいの1年になりますように〜〜〜

 

また長くなったぜ。。

おわり。

*1:2002/12/1入所